どうも、意識高すぎ高杉です!
(そんなに意識高くないですけどね(笑))
本日も「高杉の!読みすぎ!書きすぎ!しゃべりすぎ!(仮)」に遊びにきてくださりありがとうございます!
そういえば、ふと思ったのですが、
ブログを行っている方って結構ご自身のプロフィールについて詳細に語っている方って多いですよね。
それに比べると私のプロフィールって適当すぎますよね(笑)
まぁ、「ゆる~い」ってのが私のブログのコンセプトですので、
こだわりすぎる気もありませんが、
仕事内容とは裏腹にブラック企業とかも経験していますので、
その辺の詳細もジョジョにご紹介できればと思います。
ちなみにブラック企業に勤めていたときは、
※ジョジョの奇妙な冒険(荒木飛呂彦)より引用
っていうかんじでした。
でも、私は人間の心を捨てきれなかったので、人間をやめるのでなく、仕事を辞めました。
そんなことも後々ご紹介したいと思います(笑)
あ。私、ジョジョの奇妙な冒険好きなんです。
とは言っても、まだ5部までしか読んだことないのでにわかファンです。
さてさて、それはともかく、
本日は「人望力の条件」の最終章「人間力」についてご紹介いたします。
あらためて、この作品についてご説明しますね。
この書籍「人望力の条件」では「人望力」というものを5つの要素で分解しています。
①人間通
②世間通
③経済通
④影響力
⑤人間力
といった具合です。この5つの要素を5回に分けて皆さんにご紹介しておりまして、本日がシリーズ最終章第5弾となります。
ちなみに、今までの内容について参考としてリンク付けしておきますので、お時間のある方は読んでみてください。
リンク貼りすぎるとと鬱陶しいと思うので、前回のものだけ貼っておきますね。
それでは、どのような方にオススメな書籍なのか。
あらためてご紹介しますね。
- 会社などで指導職立場の方(係長・主任など)
- 管理職の方(課長・部長など)
- 経営者の方(取締役以上の方)
- 学生対象に指導を行う方(教師・塾講師など)
- 童門冬二さんを愛してやまない方
- 歴史人物からビジネスを学びたい方
童門冬二さんは組織論という目線で書籍を書くことが多いことに加えて、とっつきづらい歴史用語も少ないため、読みやすい構成であるので・・・略(part.4と同じなので、上述リンクをご参照ください(笑))
人間力の要諦の第五は人間力である。すなわち、人間の器の大きさである、生まれながらに器の大きい人も中にはいるが、多くの器量人といわれる人は、自分で器を大きくしてきた。器を大きくするのも、小さくとどめるのも自分しだいである。人間の器は自然に大きくなるものではない。自分を知り、自分を育ててこそ、人はさらに、自らの器を大きくすることができる。器の大きい人には、自然に人が集まってくる。
この第五章「人間力」の章は次のような節に分かれています。
第1節 自分を知る
第2節 挫折を生かす
第3節 自分をコントロールする
この章は本書の中でも、締めくくりということもあって、ページ数も多く割り当てられています。そのため、多くの歴史人物のエピソードが紹介されています。
たとえば、蜂須賀家政・黒田如水・福沢諭吉・北条早雲・前田利家・松平定信といった有名な人物たちのものである。
(ん?童門冬二さんって黒田如水を紹介しすぎだって?童門冬二さん、「軍師 黒田如水」って書籍を書いているくらいですからね。そりゃ仕方ないです。)
今まではエピソードを一つに絞って詳細にご紹介していたのですが、今回は詳細を省いて、印象的だった記述を列挙しようかと思います。
それでは題して「器拡大スペシャル ヒストリア」っていうことで。
こういうとき(=組織人事の変革時※)トップがまわりに集めるのは、必ず自分の気に入った連中だ。そして意見をきくのはそういう連中からのものに限る。自分に対立する者や、自分の政策に反対する者の意見はきかない。また、トップのまわりに集まった連中も、いつのまにか茶坊主になっておべんちゃらをいい、トップが怒るような情報は耳に入れなくなる。いまの時代でも同じだが、これがトップを堕落させる第一歩である。とにかく、トップが自分に対立するような意見をきかなくなったらもうだめだ。
(※部分は私が補足的に記載しております)
以下は家政が忠英を戒める場面。
「トップに立つ者は、決して自分に対する批判を恐れてはならない。何でもきくことだ。自分を批判する者を左遷しようとしたり、あるいは飛ばそうなどと考えるのは間違いだ。批判の中にも正しい意見がある。上に立つ者はそれに耳を傾けなさい。このスズメ(※)と同じだ。可愛がれば、必ず慕って寄ってくる。」
批判を謙虚にきくことは、自分を知ることである。そして、それは自分を育てることにもなる。
人の話を聞けないというのは視野狭窄に陥るし、そうなれば新しい刺激や変化を感じることができなくなる。そしてもはや成長はなくなる。
これは本当に心にとどめておきたい内容だと思います。
「童門冬二さんは歴史上人物じゃねぇだろ!」「筆者を出すんかい!」など。
というのが、これから引用する箇所は、歴史上人物のエピソードというより、童門冬二さんのお考えが縷々説明されているところですから。
人を育てる場合に、育てる側自身が常に自己の向上に努力をしなければならない(中略)ところが、人を育てる側にまわると、なかなか自分の未完成部分に気がつかない。つまり人を育てているから、ともすれば、「俺はパーフェクトだ」と思い込む。そうなると、自分の長所ばかり目について、短所が目に入らない。自分を向上させる努力を怠るようになる。(中略)育てられる側は気がついて、(このリーダーはだめだ)と思うようになってしまう。そうなると育てる側がいきり立って、(こいつはしだいに俺のいうことをきかなくなってきた。生意気だ)と思い込む。せっかく良好な関係にあった育てる側と育てられる側の関係にヒビが入り、しだいに亀裂を生ずる。やがて大きなミゾができ、両者は完全に隔たってしまう。
よい友人をもつということは、「自分でまだ気がついていない自分」に目を向けさせてくれるということだ。仲間たちと議論し、いろいろ志を語り合うことは、場合によっては、「自分を客観的に見直す」という機会がたくさんあるということだ。
人づくりとは、「人を見る・育てる・生かす」ということであるが、別の面から見れば、人を育てるということは、「自分を育てるということ」でもある。
それには、「常に客観的に自分を見つめ、いいところを伸ばし、悪いところを捨てる。そして、社会に生かす」という気持ちが必要だ。
真理だと思いますね。塾講師をしていた時に積極的に行っていたのは、本来教わる側の生徒を、講師としてみなし身振り手振りで講師である私に教えさせる、というもの。
やはり、自らが教わる側になると受け身だった立場から積極的に立場に変わるため、「一次関数」を説明するのにも、彼・彼女たちが持っている知識を総括用して教えようとしてくれていました。
だからこそ、うまく説明できなかった点などは、その後自分で調べ上げ、よく理解できるようになっていました。
このことからも、人を育てる側に回ろうとすると自分を客観的に見つめなおすきっかけになり、自分が育つのだなと思います。
これは前田利家のエピソードからの引用を通して、童門冬二さんはこのように分析しております。
前田利家は、「自分が不幸な経験をもったから、世の中に仕返しをしよう」、ましてや「部下につらくあたってやろう」とは思わなかった。むしろ逆に、「傷の痛みを知った自分は、部下の傷の痛みも共有しなければならない。というよりも、部下が傷を負わされないようにトップが守らなければならない」と考えた。
これもまたとても素晴らしい点ですよね。
あたりまえといえばあたりまえなんでしょうけど、自身の周りの上司などを見ると、実行できている人って少ないように思えます。
この件で苦い思い出もありますが、それはまた別の機会にでもご紹介しましょう(笑)
「人望」の意味は、
信頼できる人物として、人々から慕い仰がれること。
(デジタル大辞泉より)
とあります。
確かに童門冬二さんのおっしゃる通り「人間通」「世間通」「経済通」「影響力」「人間力」が欠かせないと思います。
各個人の長所・短所を見抜くことができない人に、適切に個々人と相対することができない。
冷静に物事を分析し、先を見通すことができない人に、信頼は生まれにくい。
お金にとらわれ、お金に溺れる。そんな人にはいつかお金で破滅することが目に見えてしまう。
人を感化させることができる影響力、情熱、真摯さがない人間についていく者はいない。
なにより、謙虚さがない人間。反省のできない人間。すなわち、器の小さい人間の周囲に人は寄り付かない。
皆さんがこの書を手に取って少しでも自己啓発のお役に立てていただければと思います。
また楽しい書籍がありましたらご紹介いたしますね。
part.1~part.5までお付き合いいただきありがとうございました!
(part.2だけ反響が少なかったのは何が原因なのでしょうかね(笑))
また「高杉の!読みすぎ!書きすぎ!しゃべりすぎ!(仮)」に遊びにきてださいませ~。
ばいばいき~ん(@^^)/~~~